世話好きの医者がはじめた?人材紹介ビジネスの起源を調べてみた
おはようございます。人材ビジネスアナリストのINST石野です。三連休いかがお過ごしになられましたでしょうか。
今まで理系的視点から人材ビジネス分析をしておりましたが、今日はちょっと趣向を変えて、歴史なんぞ調べてみようかなと思います。歴史といいますと、人材ビジネスコミュニティを運営しているポーターズの平田さんは相当な歴史好きだそうですが、まだまとめてなかったんですね。ぐふふ。
それではいろいろとGoogle先生に聞いて調べてみたことをまとめてみたいと思います。
<日本の人材紹介ビジネスの起源>
日本における人材紹介の起源はかなり古く江戸時代まで遡ります。
時は家綱の時代(写真はWikipediaより)1600年代後半(大体1650~1660くらいで、玉川上水が開通した時くらいと同じらしいです)
木挽町で医者をやっていた大和慶安(やまとけいあん)が木挽町ではじめた仲介ビジネスが発祥だそうです。医師をやっていた慶安は、患者さんの家から「うちの息子に嫁さん紹介してくれ」とか「いいお手伝いさんはいないかね」と頼まれることが多かったらしく、世話好きの性格も相まってか、紹介して斡旋料をもらううちに、副業のほうが忙しくなり浪人2人を雇って医師を辞めて仲介ビジネスに専念したそうです。医者より儲かるのか、人材ビジネスw
実はそれ以前にも遊女(いわゆる風俗嬢)や、丁稚奉公などの紹介斡旋は存在していたようですが、本格的にビジネスとしてスタートさせたのはこの慶安が初めてだそうで、その後も職業紹介ビジネスは桂庵(けいあん=慶安)や、口入屋などと昭和のはじめくらいまで呼ばれていたようです。
また、奉公人(お手伝いさん)だけでなく、妾(第二夫人?愛人?)の斡旋も行っていたということです。びっくり。まあ妾が取れるのは大名とか将軍とかのお偉いさんで、その時代は第二、第三夫人がいるのは当たり前なので、問題はなかったようですが、中には大名の妾になって多額の支度金(今で言う入社準備金ですね)を貰って奉公に行って(いわゆる入社ね)、その家のことが飽きて嫌になると、おねしょを連発するなどの人としてダメな行動をわざとして、愛想つかされて「お前はもう出て行け!」と言われるのを待って、また次の大名の妾に紹介されてなり、支度金また貰ってメシウマな性悪妾もいたそうです。とんでもない。今なら即ブラックリストです。
当時から紹介元(今でいう紹介会社)は、斡旋した事による責任があったということなので、妾もなんとか会社都合退職(クビと言われる方向)に持って行こうと必死だったんでしょう。リファンド(返還金)とかあったんでしょうかね。それにしてもおねしょ連発てwwwもうちょっとちゃんとした人を紹介しろよwww
でも、僕もキャリアカウンセリングで数百人とはお会いしましたけど「あなた、おねしょしませんよね?」とは聞いたことなかったなあ。ちなみに「石野さんから紹介された人、おねしょ連発するから退職してもらいました」と言われたことも当然ながらありません。
ちなみにその時の紹介手数料は、奉公先、奉公人の両方から賃金の10-15%をもらっていたそうです。Oh my god!転職者もお金払わないといけなかったんですね。おねしょ連発したやつは、それ以上に支度金をもらっていたんでしょう。でも、このお金のもらい方だと転職は少し抑制されそうです。今は法律上個人から転職斡旋の報酬は貰ってはいけないことになっていますね。
そして、人材紹介ビジネスは儲かるということが判明し、江戸で最も流行るビジネスの1つだと言われていたようで、江戸末期には500もの職業紹介事業者が存在したようです。スゲー!当時の職業紹介事業所は、飯田町(今の飯田橋あたり)に最も多く、麹町、西久保(虎ノ門あたり)、小石川餌差町(後楽園〜小石川近辺)などに多かったようです。交通の便が良いところに集まるんですね、やっぱり。
その後、やはり儲かるビジネスにはつきものの、いろいろな法整備が進み
・身元がちゃんとしている人しか紹介してはいけない
・紹介した人が辞めたら替わりの人を紹介しなくてはいけない
・手数料だけもらおうとして変な紹介をしてはいけない
・紹介した人には紹介先のルールを守らせなくてはいけない
など、今でも存在するようなルールが出来上がってきたようです。儲かるビジネスということで、悪徳業者やサービスクオリティの低い業者も出てきて、ビジネス全体を守る必要性ができてきたということですね。職業紹介の仕組みは江戸時代に出来上がっていたと。
また、この時代から既に存在したのがいわゆる業界用語で言われる「お化粧」(候補者をよく見せようとする紹介元の候補者へのアドバイス)です。
・紹介元には19歳までと言われている。あなたは20歳だけど、面接では19歳だといいなさい。
・三味線が弾けなくても、弾けると言いなさい。やれと言われたらデタラメでもいいからやってみなさい。
・あなたはあまり器量が良くないので、振り袖着込んでバッチリメイクして面接行きなさい。
などという涙ぐましい企業努力・・・というか上2つは100%アウトだろ!www
年齢の問題とかは今やったら大問題ですね。年齢で採用するしないを判断してはいけないことになっていますが、年齢詐称はイケません。マイナンバーは当然江戸時代にはなかったと思いますので、嘘をつき通せば通ってしまったのでしょうね。三味線は、、、入社後にうまくなればよし!ということだったのでしょうか。採用ビジネスですと、当初は必須の条件があったのに実際採用した人は必須の条件を満たしていない(他が優れていたなど)ということもありますよね。
この頃、労働者の給料は繁閑に連動し、忙しく人出が欲しい時(盆暮れ正月など)は閑散期の倍くらいの給与だったそうで、紹介手数料は賃金連動だったため、今も昔も景気の波をダイレクトに受けるビジネスだった、ということです。
その後、人材ビジネスは営利職業紹介事業から無料職業紹介事業(今の職安)になり、厚生労働省管轄の事業になり、民間に職業紹介事業として再度広がっていくわけですが、今日は長くなってしまったので人材紹介の起源としてはこちらまでということで。
ちなみに、職業紹介所として一番最初に認可を受けたのは株式会社吉野経営さん、という会社だそうですが、今は存在が確認できませんでした。吉野経営コンサルタントさんはあるんですけど、多分違うっぽい。
日本では江戸時代だったということで、世界はどうなのかと調べてみたのですが、ロバートハーフさんが世界初の人材紹介会社だった、ということしかわかりませんでした。「Recruit agent origin」とかでググったら出てくるんスかね。なんかアニメのタイトルみたいスね。
それでは。
Kosuke
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