アドラーを読んでいない男が語るオレ流「嫌われる勇気」
黒い軽自動車をカスタムしている人が嫌いなINST石野です。あの窓のところに置いてある白いふわふわってなんの効果があるの?
さて、昨日のYahooニュースTOPで「嫌われる勇気」TVドラマ化というのを目にした人も多かったのではと思います。
※ホントは昨日のうちに書きたかったんだけど時間が足りず今日UP
まあ残念ながら、うちの嫁も卒倒するほどの演技力の香里奈が主演なので、視聴率の方は期待できないかもしれませんが、このニュースのお陰でブログネタができました。香里奈、ありがとう、香里奈。
申し訳ないことに自己啓発系の本を最近ほとんど読まないのです。ですが、アドラー心理学、というのは聞いたことはあったような気がします。早速ググってみるか・・・と思ったのですが。。。
待てよ。
俺、「嫌われる勇気」持ってるわ
このブログの読者の方であれば、そんなことはとっくに理解して頂いているのではないかと。
なので、旬なキーワードを織り込んだ今日は、僕がなぜ「嫌われる勇気」を持っているのか、なぜ持つようになったのか、オレ流「嫌われる勇気」を書いてみたいと思います。※なので解釈が間違ってるかもしれないです。アドラーファンの方、ごめんなさい。
ざっくりまとめますと
・相互理解100%は絶対に不可能
・なので嫌われる前提で発言してみよう(批判されることを恐れない)
・そうすると合う人が周りに寄ってきて、そうでない人は離れていく
・ただ、自分の考えを押し付けることはしない
・結果、ストレスの少ないコミュニティが形成できて楽になる
ということです。詳しく書きますと以下。
原則:人間同士が100%わかり合うことは不可能
まず、基本的な僕の考え方はこれです。どんなに仲のいい夫婦、恋人、友達、家族、兄弟、そして会社の従業員と経営者などが100%わかり合うことは不可能です。断言します。
もちろん、人の意見に部分的に同意したり、賛同できる部分が多かったりすることはもちろんあります。ですが、「ウチらニコイチだよね〜」と言っておそろいの服を来て夢の国に行く女子高生だって、帰って寝る家が違うのです。山崎まさよしが歌ってましたね。育ってきた環境が違うから、すれ違いは否めない。って。そういうことです。
要はなにに対してでも全く同じ意見を持っている人は2人といないということです。
脳みその中を割って思考回路をコピーすることもできませんし、ここまでは多くの人に納得いただけると思います。
ストレス抱えて人付き合いするより、自分のことを嫌いな人が周りにいないほうが良くない??
さて、ここからは持論をフルに展開します。
攻撃的に毒づいている僕ではありますが、別に全員に嫌われようとしているわけではありません。
人間ですので、「嫌い」と言われれば、多少は傷つきます。ですが、それはあまり気にしないようにしています。すいません、嘘つきました。全く気にしてませんwどんなにいいふるまいをしても僕のことを生理的に受け付けない、という人もいるでしょう。
ですが、僕はそういう人に好かれるように努力をするべきなのでしょうか。それであれば、僕は「自分はこう思う」と自由に発言をし、自由に行動をして、すべてをさらけ出した上で僕のことを好いてくれる人が周りにいてくれればいいと思っています。
気が置けない仲間が周りにいてくれて、そうでない人は一歩下がっていただく、というような感じでしょうか。
「友達100人できるかな♪」の時代から友達1000人以上時代に
インターネット、特にFaceboookやtwitter、古くは2chなどによって、個人と個人が繋がりやすくなりました。色んな人の意見を聞けるようになったわけです。そうすると、昔は実際に接する人としかコミュニケーションをしなかったのが、遠く離れていて会ったことがない人も自分の周りには存在したりするわけです。
(リアルな)友達100人できるかな、という時代は終わって、今や普通に(オンライン含め)友達1000人以上時代になってます。友達の友達含めたら数十、数百万人くらいはいるでしょう。
僕にも1000名を超えるFacebook友達がおりますが、中学・高校からの同級生や幼馴染、大学の友だちや新卒で入った会社の同期、お仕事繋がりまでたくさんの友達と繋がっています。
そうすると、僕の周りには数十万人くらいの僕の意見が届く可能性がある人達がいて、数十万通り以上の意見・考え方があるわけですから、全員が「石野、その通り!いいこと言う!」と言われるようなことは極めて難しいというか不可能。
どんなに素晴らしいサービスを提供しても、満足するのはそのうち60%くらいだ、と聞いたことがあります。
例えば服を買いに行ったときに、話しかけてくる店員が好きな人もいるし、そうでない人もいる。そして話しかけられるのが好きな人でも話しかけてほしくないときもあれば、基本的には話しかけられたくない人が話しかけて欲しいときだってあるわけで。
すべての人に賛美され続けるなんて絶対に無理
先日書いた
資金調達を軽々しく「おめでとう」と言うのはもうやめようという話
のエントリはその日だけで5500PV、その後もPVは伸びてもう8000PVに届こうという状態です。はてブもされましたし、有名な起業家、日経系のメディアの編集長にもシェアされまして、まさに賛否両論でした。
大事な言葉出ました。「賛否両論」。この考え方が今の時代に必要なことだと僕は思っています。ので、「嫌われる勇気」を持ててるというわけです。
このエントリはバズらせる目的で書きました。批判的な意見がでてきたりdisられたりするのなんて想定の範囲内。その覚悟をした上で狙って書いたので、バズったのはとても嬉しかったです。どうやってシェアされているかはあんまりわからないですけど、批判的な意見に全く耳を貸さないわけではありません。
いくら良いことどんなことを言っても、その「良いこと」というのはその人の主観であって、異なる考え方を持つ人が聞いたら「それはねーんじゃねーの?」となるんです。つまりはどんなことを言っても嫌われる可能性はゼロに近づくことはあってもゼロにはならない。「嫌われないように」ストレスを抱えながら発言をするよりも、「嫌われる可能性がある」前提で発信をしたほうがストレスは少なくなります。
聞き手側は嫌であれば情報をスルーしたりシャットアウトすればいいだけで、「あいつ、こんなこと言ってたから殺してやる!」みたいな状態にはまずならないかと。
マクドナルドのハンバーガーがまずい、と思う人は行かなければいいだけ
AKBなんかブスばっかり!という人はなるべくテレビをつけないようにすればいいだけ
そうやって殆どの人が情報の取捨選択をしているはずなのに、自分は八方美人で敵がいない世の中を形成したがる人がいるのは結構不思議です。なので、アドラーの「嫌われる勇気」はベストセラーになってドラマ化もされるんでしょうね。
自分の意見を主張はしても押し付けることは絶対にしない
これはマネジメントなどにも通じますが、僕は意見ははっきり主張しますが、「お前も俺のようにこうやって考えろ!」ということは絶対にしません。というか、そうすること自体は前述したとおり無理なわけですし、たとえそうなったとしても良い結果には結びつかないからです。
新人マネージャーが「俺はこうやってみてうまくいったからお前もこうやってやれ!」ってやって失敗するのと同じですね。まあうまくいくケースももちろんあるんですけど。
そうやって考えると、他人の意見を聞いたときにも「なるほど。そういう考え方もあるな。」と余裕が生まれます。その上で、「もっとうまくやるためにこの人の考え方のどの部分は活かせるだろうか、逆に見習ってはいけないところはどこか。」と建設的な考え方ができます。
なので、僕のブログも、役に立つと判断していただき、役に立てていただければ幸いですし、反面教師にしていただいてもいい、という前提で書いているわけです。
僕は自分の考えやプロダクトについての思い、課題に対してのアプローチ方法をブログに良く書きます。そうしますと、僕のことを知ってくださった方から問い合わせが来て営業に行きます。その時点で「INSTの石野はこういう考えの持ち主なんだろうな」ということをある程度理解していただいてるので、非常に話がスムーズです。
僕に文章を書く力と「嫌われる勇気」がなかったら、INSTの立ち上げは多分もっと苦労したことでしょう。
保証はできませんが、皆さんも「嫌われる勇気」やってみてはいかがでしょうか。嫌われる勇気の欠点は、1回持つと、引き返しも出来ない、ということですかね。
それでは。
Kosuke