きょうだい3人でエス・エム・エスマフィア!?クロス・シップ野崎さんインタビュー〜前編〜

inst石野です。

今回は久しぶりのエス・エム・エスマフィアインタビュー記事になります。

今までINST Blogでは3名のエス・エム・エスマフィアのインタビュー記事を書かせていただきました。

株式会社ヴィリング 中村一彰さん 前編後編

株式会社BEYOND BORDERS 遠藤忠義さん 前編中編後編

株式会社グローマス 海田大介さん 前編後編

 

なんと、3社のうち

・ヴィリング中村さん
 →マネックスグループに株式譲渡でEXIT

・BEYOND BORDERS遠藤さん
 →じげんグループに株式譲渡でEXIT

2社がEXITに成功されております!中村さん、遠藤さん、おめでとうございます!!!

 

「エス・エム・エス マフィア」が日本のビジネス、人材業界を変える?

僕自身、このブログを書かせていただいたのがもう7年前になるのですが、このブログをきっかけにしてたくさんのエス・エム・エス出身起業家の方々とお会いさせていただくことができまして、今回の株式会社クロス・シップの野崎さんもBEYOND BORDERS遠藤さんからのご紹介でインタビューをさせていただくことになりました。


※遠藤さんからのメッセのキャプチャ。「そういうのやってますか?」って季節のおすすめメニューじゃないんですからwww

 

もちろんやってます!と二つ返事でOKし、野崎さんとのインタビューを実施させていただくこととなりました!

 


インタビューはオンラインで行いました。野崎さん、本当に優しくて良い方でした。僕のイメージ的には優しい中学校の先生のようです。大学のバスケサークルで出会った奥さんと結婚されたそうです。

 

 

きょうだい3人でエス・エム・エスマフィア?

石野:野崎さん、はじめまして!よろしくお願いします。

 

野崎:こちらこそよろしくお願いします!

 

石野:今回、遠藤さんからのご紹介ということですが、なんでまたINST Blogに載せてくれと??

 

野崎:実は、僕、社員番号は14番で2期目に入社した結構古い方のエス・エム・エスマフィアなんですが、エムスリーキャリアへの出向や財団法人運営など、紆余曲折経て2022年の2月に株式会社クロス・シップを創業したばかりなんです。

で、いよいよこれから採用も本格的に行っていきたい!ということで「そういえば、遠藤さんとかインタビューしてもらってたな、あれなんて会社だっけ?」とINSTさんをご紹介いただきまして。

 

石野:なるほど!そうなんですね。エス・エム・エスマフィアの記事、一番読んでくださっているのはエス・エム・エス出身の方やエス・エム・エス社員の方ですからねwありがとうございます。

で、前情報によると兄弟でエス・エム・エスに入社されていたと伺ったんですが。。。。

 

野崎:はい、兄貴は僕より前に入社していて確か5番目か6番目の社員だったと思います。しかも、妹まで入社してるんですよ(苦笑)

 

石野:マジですかwwwきょうだい3人でエス・エム・エスマフィアですかwww

 

野崎:はい、いや、でも僕と兄貴はもう退職してるんですが、妹はまだ現役です(社員番号は76番だそうです)

 

石野:それはすごいですねw兄弟で起業、とかは聞いたことありますが、3人きょうだい全員がエス・エム・エスって珍しかったんじゃないですか?

 

野崎:そうですね、僕の知る限りでもきょうだいで入社していたのは野崎家くらいかなと思います。なので社内では「野崎さん」とか「野崎」と呼ばれたことは一度もなくて。

カズナリ・トモナリで呼ばれてましたね。兄が一成(カズナリ)で、僕が智成(トモナリ)です。


幼少時の野崎3きょうだい。素朴感に溢れすぎていますw
当時の親御さんは3人全員がどベンチャーに入社してIPOを経験するとは夢にも思わなかったことでしょうね。。。

 

石野:そうなんですか!!!妹さん、社員番号76番とは、もう現存する社員のなかでは最古参クラスでしょうね。

 

ど田舎→田舎→都市部で社会人デビューからエス・エム・エス入社まで

 

石野:ちなみにそんなきょうだい3人エス・エム・エスに入社する野崎家はどんな感じのご家庭だったんですか?

 

野崎:こちらのnoteに詳しく書いたんですが、実家は佐賀県唐津で小料理屋をやってます。あわび専門店「魚又」です。


野崎さんのご実家のあわび専門店「魚又」※写真はHPから拝借
ちなみにお兄さん(カズナリ)と野崎さん(トモナリ)が入社した際に、「流石に実家に挨拶に行くわ」と諸藤さんがご実家を訪ねられて、ご両親に「息子さんたちをお預かりします!こうやって会社を成長させていきます!」とご説明されたことがあったようですが、野崎家のご両親は「あ、そうですか〜」と極めて薄いリアクションだったようです。
そしてちなみにちなみにですが、ご実家のあわび料理は諸藤さんの口にはあまり合わなかったようで「料理、マズ!」と言って帰られたそうですw※勿論作ってくれたお父様に直接ではなく、カズナリ・トモナリにですw

 

野崎:佐賀はホントなにもないところで、毎日海や山を駆け回って遊ぶ少年時代でした。

兄は高校から全寮制の進学校に行ったんですが、僕は地元の公立校に進学し、大学はあまり学費で家庭に負担を掛けたくなかったのと、とにかく九州を出てみたかったということもあり、国立の三重大学に進学しました。

 

石野:佐賀から三重ですか!地味to地味ですねw(佐賀県民、三重県民のみなさん、すいませんw)

 

野崎:はい、まじで地味なところから地味なところでした。唐津市も津市もホント何もなかったですw

 

石野:で、その後はオービックに新卒入社して営業をしていたと。名古屋配属でしたっけ。やっと大都市に出ましたねw社会人デビューということですね。

 

野崎:はい、社会人デビューですw就活も名古屋でしていたのですが、オービック入社後も名古屋配属になりまして。営業がめちゃくちゃ体育会系で結構しんどかったですね。。。同期4人いましたけど、結構早いタイミングでみんな転職してしまいましたね。。。

 

石野:エス・エム・エス入社のきっかけはお兄さんなんですよね?

 

野崎:兄(一成)が、エス・エム・エス創業者の諸藤さんと、高校の同級生なんです。

 

石野:お、例の全寮制の高校の。

 

野崎:はい。で、中村一彰さんのインタビュー記事にも書いてあったんですが、創業間もない会社だったので広告出す金もないし、出しても応募が来るかわからない。でも諸藤さんが描いた戦略プランがあって、人さえ集まれば成功する!ということで本気で超縁故で採用活動をしてたんですよ。

 

石野:そうですよね。とりあえずキーエンスとゴールドクレストの同期や同僚連れてこい!みたいな感じでしたよね。

 

野崎:それに加えて卒業アルバムで家電にテレアポしてましたねw

 

石野:今やったら色々アウトですねwww

 

野崎:まあそんな中で、諸藤さんが兄貴に「お前さ、弟いたよね」と。実は諸藤さんが高校時代に一回お会いしてたらしいんです、僕と。でも僕はぜんぜん覚えていなかったんですよw

なんせふたり(兄貴も諸藤さんも)とも陰キャなので影が薄かったんでしょうねw陰キャ同士気が合って創業期に兄はジョインしたんだと思います。

それで、弟今何やってんだ?→オービックで営業してますと。そしたら「お前の弟でオービックで営業やってるなら営業できるだろ!今すぐ声掛けろ!」と有無を言わさず僕へのアプローチを指示されたそうです。

兄貴は正直あまり乗り気ではなくて「ちょっと申し訳ないけど一回話だけ聞きに来てくれ〜」的な感じだったように記憶してます。別に兄とは仲が悪いわけでもなかったですし、兄貴の顔を立てるわけじゃないですが、「まあ行ってみるよ〜」と気軽に。そんなことがエス・エム・エス入社のきっかけでした。

話聞きに行ってみると、小さいオフィスが悶々?ムンムン?としてるんですよ。目がギラついた25,6歳くらいの若者が喧々諤々話し合ってる脇で、「お、来たか」みたいに面接?が始まるんです。で、30分くらい話聞いてたら諸藤さんが「で、いつから来れる?」って。俺何も話してないけどwみたいな。

 

石野:まあそれで結果として入社になると。半分拉致とか誘拐みたいなもんですね。

 

エス・エム・エスを5期目で上場させた諸藤さん・信長さんの偉大さについて

 

野崎:ホントですねwまあでも結果として5期目で上場しましたし誘拐事件は時効ですかねw

なんか面白そうでしたし、やってみるか!と入社を決めたのがエス・エム・エス2期目のことですね。社員番号14番でした。でも僕、上場直前期とかに応募してたら多分採用されてないんじゃないかと思いますね。

 

石野:そうなんですか?

 

野崎:僕が入ったころなんて、知名度も人気もまったくなかったですから、とにかく営業できそうなやつだったら採用しておけ!みたいな感じだったんだと思います。もちろん面接した人は全員採用というわけではなかったですが、会社が大きくなってきて続々メンバーが集まってきて社内にいても採用ハードルが上がっていくのはひしひしと感じていました。

僕は自分のことを「凡人」だと思ってるんです。運良く創業期にジョインできて、諸藤さん・信長さんの言うことを聞いて一生懸命仕事したら会社がIPOしちゃったみたいな。

諸藤さんは前述したように(陰キャなんですが)めちゃくちゃ考えが深くて広いんですよ。他人に話をするときに彼の頭の中では話は繋がっているんですが、聞いている人からすると「???」みたいな。あれ?宇宙人かな?と思ったりすることも多かったですね。

一方信長さんは、宇宙語がわかる唯一の地球人というか、諸藤さんの宇宙語を戦略に落として実行する天才のように僕には見えてました

諸藤さん=CEO、信長さん=COOと表現されることも多いのですが、僕の目には本当に2人は対等なパートナーに映っていました。本当に抜群に噛み合わせがよかったというか、どちらかが欠けてもあの規模やスピードで上場はできていなかったと思いますし、上場後も今のようなエス・エム・エスのカルチャーや社風、事業は作れていなかったんじゃないかなと思います。

僕はやっぱり諸藤さん・信長さんのふたりがいてこそのエス・エム・エスだと今でも思っています。

 

石野:なるほど〜、他のエス・エム・エスマフィアの方々もそう仰る方が多いですね。

で、野崎さんはエス・エム・エスから、エムスリーキャリアに転籍して、その後退職をされて諸藤さんと一緒に財団法人を立ち上げたと。

起業の背景や、なぜ教育領域?といったところやクロス・シップさんの戦略については後編に続けてまいりたいと思います!

 

読者の皆さん、首を長くして後編を待たれよ!

 

それでは。

Kosuke

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