信じる力、について

INST石野です。

最近ブログ頑張ってます。以前Twitterに書いたんですが、実は今のINST Blogって書いても書かなくてもそんなに大きくPVに影響は出ないんです。かと言って書いたら書いたで問合せをいただく数は増える。

ということで今日も頑張ってブログを書いていきます!

 

INST Blogに最多登場のbosyu社の石倉さんがとてもいいTweetをされていました。毎度ネタの提供ありがとうございます!

 

いや、本当にごもっともすぎて何も言えない。と言いつつ、この信頼する力について今日はブログを書いてみようと思います。

 

労働基準法がそもそも時代遅れである

日本には労働基準法という法律で労働基準が定められており、それに則って賃金を払ったり、休養を取らせたり、就業時間をかんりしなくてはなりません。

ですが労働基準法の多くの部分は工業や鉱業などの第二次産業が日本経済を支えていた時に整備をされたものであり、つまりは殆どが工場労働者を管理しやすいように、というのがベースになっており、部分的に改正されたり足りない部分を補完する法律が整備されてきてはいるものの、IT化が進んだ今の時代の労働者を管理するための法律としてはあまり適していないというのが僕の意見です。

オートメーション化されていない時代の工場労働者を管理するための法律ですから、賃金の計算基準などが労働時間になるわけですし、週に40時間以上働かない人は正社員じゃない的な(そんなことはないんですけど)感じになっていたり。

働き方の多様化が叫ばれる現代で、この労働基準法が大きな阻害要因のひとつになっているのは間違いないかと思います。

 

成果が出ない社員をクビにできないからサボるやつが生まれる

労働基準法の、というか日本の労使関係の大きな問題の一つが、「会社が従業員を解雇しづらい」ことであると思います。

もちろん労働者は守られるべきで、成果を出している人は解雇されないのが当然ではありますが、総じて従業員を解雇しづらい状況により従業員側に成果を出さなくても「そう簡単にクビにされることはない」という発想が当然ながら生まれてきてしまいます。

サボりの始まりです。これが実にタチが悪い。

サボっていても、労働基準法に定められている時間、勤務している(会社にいるだけ)以上、休養も取らせなくてはなりませんし、賃金を支払わなくてはなりませんし、有給を取得させる義務が会社に発生してしまうわけです。

会社にいる=サボっていない、という発想なので日本の会社の給与はPay for timeです。待機していることに価値がある仕事であればまだしも、何かを考え、成果を出すことが求められる今の日本の時代においてはPay for performanceであるべきなのではないでしょうか。

 

そしてサボらせないのが目的になる

そして、結果としてどうなるかというと、会社は社員がサボっていては収益が上がりませんので、社員がサボらないように管理をするわけです。

日本でいう「管理」という言葉は、きっちりかっちりルールを守らせる、という意味が強いように思いませんか?本来の意味は「物事や一定の事務を管轄し取り仕切ることである」とWikipediaにあります。がんじがらめ、というわけではないようですね。

ですので、工数管理や行動管理をしてサボらせないことで成果をマネジメントする、というのが今の日本のスタンダードな管理スタイルです。

ルールとして決めてしまいますと、これをサボろうとする悪い従業員、サボろうという考えがなくパフォーマンスを出そうとしているいい従業員、両方に適合しないといけなくなりますので全体としてはマイナスにはならないかもしれませんが、大きく上振れもしない、という状況になってしまうわけです。

 

社員がサボる前提、労働人口が増える前提で考えてはいけない

ですが、この考え方では働き方の多様化に対応はできませんし、労働人口が減り、ハイパフォーマーがより雇用しづらくなってくるこれからの時代にマッチしません。

副業やワークシェア、時短やリモートを活用してなんとか労働力を確保していかなくては、超少子高齢化する日本経済は衰退の一歩をたどってしまうわけですね。今の労働基準法はベビーラッシュなどでどんどん日本の労働人口が増えていく前提の上に成り立っている法律なわけですから。

石倉さんが言っているように、従業員を信じ、性善説でマネジメント(管理、というとなんかイメージが悪いので)することで組織のパフォーマンスを上げていくことが本当に求められてくるわけですな。

 

性善説マネジメントはサボる社員には厳しい

性善説でマネジメントをするということは、チームのメンバーを(正社員だろうが、アウトソーシング先だろうが)、「結果を出してくれる」と信じ続けて任せることが大事です。

信じられていない、ということを感じ取ってしまうとパフォーマンスを出せる人も出せなくなってしまうように思います。

サボっているかいないか、というのは関係なくなります。成果さえ出せれば良いので。

これが性善説によるマネジメントで、一見とても従業員にとってはやりやすいマネジメントに映ると思いますが、実はやりやすくなるのは「パフォーマンスを出そうとする良い社員」だけであって、「ダラダラ過ごすだけで成果を出そうとしない悪い社員」にとっては極めて都合が悪くなります。しっかり言うことを守っていた、規定の時間働いていた、というプロセスが評価されなく鳴るわけですからね。

性善説マネジメントの評価は、成果に厳しくなっていきます。給与がガクっと下がったり役職を剥奪されたりということも起きうるでしょう。「そんなのあまりにひどいじゃないか」という方もいそうですが、それがこのあとの日本のあるべき労働の姿であると思います。

 

例えばあなたの会社が完全にプロセス評価をやめて、成果主義になったらあなたはどう思いますか?クビにはならないにしても成果が出なかったら給与が半分になる。でも自分のことを信じて任せてくれる経営層がいる。

どういう会社が居心地が良いか、というのは人それぞれです。

 

それでは。

Kosuke

 

〜あとがき〜

ブログ、頑張って書きますが、ネタが枯渇気味です!こんなことについて書いて欲しい!意見が聞きたい!などはTwitterのDMでいただければ嬉しいです!あ、bosyuすればいいのか!