差別と区別と学歴とフェミニスト〜マイナビ学歴フィルタ問題続報〜
inst石野です。
ダラダラコラム的な独り言ブログです。
先日書いたマイナビの炎上対応は見事に予想を外したわけですが、「あーあれでいいんだ」となんとなく日本の会社の暗い部分を見たな、というのと、結局周りも周りであれ以上騒ぎ立てるわけでもなく「まあそんなもんだよね」的な感じになっているのが流石だなとマイナビの広報部門の炎上対応スキルに感服した次第です。
おおひがしあいかちゃん、じゃなかったか
結局の所、マイナビの対応云々というよりも。学歴フィルターに関する賛否に意見が寄っていたという感は否めないわけではありますが、ここで僕が申したいのは「差別と区別」の差をしっかり意識しておくと良いということです。
イメージとしては
差別=悪いもの
区別=良いもの(とは言わずとも、あって当然・自然なもの)
という感じで区別されるとは思うのですが、これは分ける側と分けられる側の都合によって言葉が変わるものだと僕は思っております。
つまり、本来は区別も差別も同じものなのですが、分けられることによって不都合が生じるものだけが差別と呼ばれ、撤廃していくべき悪しき習慣や文化などとしてみなされてしまっているわけです。
ちなみに今回例にあがった学歴フィルタというのは、世の中に存在して至極当然な「区別」であります。
が、学歴のせいで自分が望む職に就けなかった、一流企業に就職できなかった、非正規雇用で苦しい生活を強いられている。それは学歴フィルタによって「区別」された事により不都合を感じている人たちの主張であって、それは「差別」だ、撤廃されるべきだと。
この言葉の使い方問題は男女差別にも同様に適用できるわけではあります。
フェミニスト、という言葉があります。女性の権利を主張する女性が性によって受ける不平等を解消しようという意見を持つ方々のことで、その存在や主張自体を否定するわけではなく、僕も女性の権利は全然平等でよいのではと思っている派なわけですが、根本的に性の違いというのは乗り越えることが不可能なものだと思っている派でもあります。
不当な差別は無くなっていくべきですが良い意味での区別も撤廃しようとするフェミニストの人たちの意見というのはさっきの学歴フィルタによる「区別」を「差別」と感じている人たちと同じような感じに見えてしまいます。
人によって価値観は異なるわけなので、どこからが区別でどこからが差別なのかというのは、自分がなにをもって不当だと感じるかによって違ってしまうわけで、判断軸を持つのがなかなか難しいのかもしれませんが、何度も似たようなことを書いてはいるんですが、情報過多なネット社会・SNS社会の今だからこそ、自分なりの判断基準をきっちり持つというのはすごく大事なわけです。
と同時に自分と違う判断基準を持つ人の意見をしっかり聞いて受け止めるのが、自分の判断基準をしっかりしたものにしていくという作業・プロセスにおいてとても大事です。
とはいえ、学歴フィルタに文句を言っている人というのは
A:東大卒バリキャリ政治家
B:Fラン卒の定職につかないフリーター
みたいな感じにバラけたりしていまして、結局Aは選挙でBみたいな層から票を獲得しようとしてる、みたいなのが日本のSNS・インターネット、しいては社会の縮図みたいなものであったりするなと思ったりしてしまったわけです。
学歴フィルタというのは、新卒一括採用を限られた予算・人員で、しかも殆どの企業が一斉に行うという日本の就職事情の中では必要な機能であります。もっと詳しく説明をすると採用する企業側にとってとても必要な機能なわけです。
企業からのオファーが欲しいのであれば、企業が求める要件を満たさなければならないわけです。
採用は企業も採用される側も相思相愛ではないと成り立たないわけではありますが、企業からのオファーがない限りは入社はできませんので、どうしても企業側に有利なものであり続けるわけです。企業からのオファーがないのにどうしても入社したいんです!という意欲と熱意、そしてその会社で働いて活躍するための能力が十二分に備わっていたとしても、入社はできません。
ですので、採用プロセスに於いては平等に見える関係が平等ではないわけですね。
入社後は平等であると思います。というか、日本は入社後は個人側がかなり有利です。採用企業側はなかなか社員をクビにできないからです。どんなにボンクラだとしても、です。
もしかすると学歴フィルタに文句を言っている人たちはこの構造を理解できておらず、採用する企業とされる側が採用の段階で平等であると勘違いをしているのかもしれません。
さっきのフェミニストの話ではないですが、男女平等を叫ぶ割に、母なる大地とか母なる海とかいう表現にイチャモンを付ける人はいないですし、オリンピックを男女共同開催するべきという意見にもならないわけですよね。それはわかってる。
でも、男女のキャリアが一緒に評価されないのは納得がいかないと。それは生物学的にどうしても母としての出産育児という機能(と呼ぶと突っ込まれそうだけど)を男性が代替することができないことに起因したりしているわけで、それすら跳ね返して立派にキャリアを積んだり、女性起業家として圧倒的な成果をあげているひともいたりするわけで、そういった人たちは女性差別を叫んだりしないというわけですよね。
この問題で一点だけ様子が違うのは、女性であることは上手に利用はできても、Fラン卒ということはあまり上手に利用する場面が見つからない、ということです。
賢い女性は、女性差別を叫ばずに女性であることを最大限活かすと思いますし、更に賢い人はちゃんと勉強していい学校卒業してる、ということで本日は締めくくりたいと思います。
それでは。
Kosuke
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