僕たちは本当に明確な目標を持たなくてはいけないのか?
INST石野です。
何事に於いてもビジョンや目標を設定し、達成するためにマイルストーンを置き、行動をするというのはビジネスでもプライベートでも大事なことだと言われていますよね。
売上の目標を達成するためにKPIを設定し、行動を管理しコミットする。
年に1回ハワイ旅行に行きたいので、毎月5万円ずつ旅行貯金をする。などなど。
僕も概ね賛成ではあったのですが、先日インタビューさせていただいたdoda編集長の大浦さんとの会話の中に出てきた「ビジョンハラスメント」という考え方を聞いてから、明確な目標設定の必要性について少し疑問を感じるようになりました。
dodaのブランドリニューアルは「転職は自己成長をするために行うべきで、やりがいが大事」といった転職をする際の崇高な固定観念を取り払い「少しだけ家に近くなる」とか「少しだけ年収があがる」とか「ちゃんと土日休みが取れる」という理由で転職したっていんだよ、別にそれは恥ずかしいことではないんだよ、という打ち出しをしていくべきだ、という背景があり行われた、ということでした。
こういった「◯◯するなら△△であるべき」というビジョン・あるべき姿を押し付けるというのがビジョンハラスメント、というやつなんですが、これは転職に限らず起業や会社経営、会社による従業員マネジメントや個人の暮らしに関しても大いにありえるのではないかと。
ライトなところからお話しますと、筋トレをしていると「なに目指してるの?」と聞かれることがよくあります。トレーニングしている方は経験があると思います。ですが、僕は明確に何キロ痩せたいとか、体脂肪率何%になりたい、というよりも朝ジムで筋トレをして有酸素運動をして、シャワーを浴びて会社に行く、というのが気持ちいいからジムに行っているだけなのです。
結果ではなくプロセスを重視する、ということですね。
起業や会社経営に関してで言うと、実体験ですが「会社、社員何人になった?」とか「出口戦略ってどうするの?」という会話は起業家仲間以外でもよく行われます。これは会社は大きいほうが素晴らしい、とかIPOやM&Aといったイグジットが起業家の成功である、というビジョンが一般的に良いとされていることが前提です。
この「起業したからには◯◯するべき」というのがビジョンハラスメントですね。
確かに大きい会社はたくさんの雇用を生み出すことができますし、社会に与えるインパクトも大きくなります。外部からの資金調達をして急成長をしイグジットをすることで起業家や従業員、VCなどの投資家、その他ステイクホルダーに大きなベネフィットメリットを提供できることはよくわかります。確かに素晴らしいことです。
ですが、例えば会社を大きくすればするほど、従業員満足度のために会社はルールを作り、どんどん融通を効かせづらくなったり、マネジメントの階層が作られるようになると全員の顔が見えなくなったりすることが起き得ます。また、短期間に急成長を迫られると過重労働や組織の歪みが発生し、幸せに働けないと感じる従業員が出てくることもあるでしょう。
INSTは創業して3年半ですが、従業員は僕含め7名(1名育休中なので稼働中は6名)です。小さい会社です。IPOやM&Aをする気もありません。何故かと言うと僕が雇用創出や社会に与えるインパクト、イグジットしたら得られるキャピタルゲインなどよりも、柔軟で個々人の都合に併せられる会社のフレキシビリティや、家族に近い感覚で従業員と付き合って仕事ができること、過重労働をさせないことの方に重きを置いているからです。
別に僕は自分の会社経営に胸を張れますし、これでしょぼい経営者だなと誰かに思われようとどうでも良いです。誰かに損害を与えているわけでもないですし。これが僕がVCから資金調達をして、こんなにマイルドに経営していたらそれは問題ですけどねw
こういった会社経営の仕方があったっていいんだよ、という許容範囲の広い社会になったほうがよりよいと思いませんか?というか世の中は今後そうなっていくと僕は思っています。
これに近しいのが「結婚をして子供を産み育てて過程を築くのが究極の幸せ」だ、というビジョンハラスメントです。
今回僕は結婚をして子供を授かり子育てをしている、一般的に「幸せだ」と言われる側の立場にいます、子育ては楽しいですし日々成長する子供に親である僕が成長させてもらってますし、本当に心から幸せで妻と結婚して子供を授かることができてよかったと身をもって体感しています。
これに対して、30歳前後くらいから結婚をしていない人へのプレッシャーは(特に近親者から)どんどんと強まりますし、結婚をしたらしたで「孫はまだか」攻撃があることが多いですよね。
ですが、独身でいることにより何歳になっても恋愛ができたり、誰かに束縛されたりと浮気をするしないとかいう議論と無縁でいられたりしますし、結婚をして子供を持たないことにより子育てをしたらできないような時間とお金の使い方ができ、夫婦2人の思い出が素晴らしいものになることもあるでしょう。
生涯を添い遂げるパートナーと一緒に暮らすことよりも恋愛のドキドキを死ぬまで味わうことに重きを置く人や、趣味や旅行に子育てよりも喜びを感じる人の価値観を否定する権利は僕たちにはないはずなのです。
そして究極はビジネス・仕事における目標設定です。
これも「ビジネスマンたるもの自己成長をするべき」や「目標達成をし続けるべき」と会社側が従業員を管理しやすいようなビジョンを設定しているのでは、と考えるようになりました。
労働の対価は金銭的報酬であるべき、と僕は考える派なのですが、それに対して「仕事の報酬は仕事」という意味のわからない論理展開をして「やりがい」を金銭的報酬の代わりに与えて「給与だけでなくやりがいを感じる仕事こそ崇高」というマインドコントロールをされているのではないかと。
営業の人に限らず、多くのビジネスマンが設定させられている「目標」についてもそうです。
目標を外さないことがビジネスマンとしての最低条件、というのがセオリーですが、それであればビジネスマンの集合体である会社が業績予測を外すのはどういうことなのか誰か説明していただけませんでしょうか?
例えば、ZOZOスーツの発表など予想にしていなかった洋服の青山の売上が落ちたら「予想だにしなかった外的要因」と片付けますが、従業員がインフルエンザに掛かって1週間休んで売上目標を外したら「体調管理をしっかりしろ」とマネージャーは叱るでしょう。インフルエンザに掛かりたくて掛かるやつなんかいないし、誰がウイルス持ってるか見極めるなんて洋服の青山の経営陣がZOZOが自動計測するZOZOスーツ作って2万円代でパターンオーダーのスーツ出してくるのを事前に予測するのと同じくらい難しいでしょう。
確かに苦労をして目標達成をしたときの達成感はなににも代えがたいものではあると思いますが、一瞬の達成感を味わうために1ヶ月のうち29日死に物狂いで働く、というのはいかがなものなのでしょうか?
よく人生を終えたときに葬式に何人の人が参列してくれるか、とかどれだけの人が泣き悲しんで自分のことを偲んでくれるかが大事だ、とか言われますが、死ぬときの状態にゴール設定して楽しいんですかね?それよりは毎日楽しく過ごしていければ死ぬときは「あー、楽しかった」って死ねるのではないでしょうか。
INSTは創業以来売上目標は設定していません。一つだけあった目標は「なるべく早く単月黒字を出す」ということだけです。それは10ヶ月で達成しました。これは目標を設定してそれに対して行動をしていくほうが個々人のパフォーマンスは上がりますし、やるべきことが明確になって良いとは思いますが、それよりも過重労働を防いだり組織としての柔軟性を重んじているからです。
目標を持つことも大事ですが、日々自分が思うベストを尽くして、プロセスを楽しんでいった結果になにかがある、というのでも僕は良いのではと思います。管理する側からすると大変ですけどねw
ということでダラダラと書いてみましたが、ビジョンハラスメント、という考え方は面白いですね。価値観の多様化により自分が思っている当たり前をそうではないと感じる人も増えてきます。ぜひ一度耳障りの良い「当たり前」を疑ってみてはいかがでしょうか。
それでは。
Kosuke
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