当たり障りのない人材が量産された後に広がる世界とは
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inst石野です。
日々流れてくるニュースの見出しに思うことがある。
ちょっとでも悪いことをすると袋叩きに合う
ということだ。
悪いことをしたら、それなりの罰や制裁を受けるのは当然だし、法に触れるようなことであれば法律で裁かれるわけだが、懲役や死刑には程遠い軽い罪の場合そういった正当な制裁よりも、今の時代はネット民からの私刑や社会的制裁の方がより厳しいように感じる。
これが抑止力になり、軽度の犯罪が減って世の中が良くなっていくのであれば、それは誠に素晴らしいことなのだけれども、ネット民の攻撃力ばかりが強くなっていって、大部分の人は「アンチを発生させないように」という方にばかり意識が行ってしまっていて、本末転倒な印象を受けることはないだろうか。
このまま行くと世の中には品行方正で良い子ちゃんの人間しか存在しなくなり、それはそれで良いのかもしれないが、無味乾燥な面白くない世界になっていくのではないだろうかと危惧している。
芸能人の不祥事に思うこと
「女遊びは芸の肥やし」と言われていた昭和の時代には、女遊びのひとつも出来ないような芸人は一人前とは言えないし、ちょっとくらいの女遊びでビービー騒ぐような嫁は器量が狭い、というような風潮があった。
芸人というのは芸事の能力、人を楽しませる能力を評価されるべきであって、浮気や不貞を働くのは決して良いことではないにせよ、別にそれを行ったからといって、芸人としての評価が下がるのはどうなのかというような感じである。
芸能人の不祥事が発覚して、作品が非公開になったというニュースはたくさん目にするものの、作品に罪はないわけだし、極論別に有罪判決を受けたとしてもその作品を放映することでなにか不利益を被ってしまうような人はいるのだろうか?犯罪者の顔を見たくない、虫唾が走るというのであれば「見なければよい」ということに尽きるのではないだろうか。
当たり障りのない岸田総理大臣
政治家にしても、ある友人が「岸田総理の存在感がなさすぎて笑う」というようなことをTweetしていた。
今の自民党政の状況下では、永田町での評価が得られないことには総理大臣にはなれないわけであって、そこから評価を受けたのが岸田総理だということも理解はできる。ただ、あまりに彼の政治方針は当たり障りがなさすぎるように感じる。大胆さが足りないというか、大鉈を振るう勇気がないというか。
「国民のため」と言いつつ、反対意見が一番少なくなるような政策しか打ち出せない総理大臣なのではと思ってしまう。
ロシアのプーチン大統領のように国民の反対を押し切ってもウクライナに戦争を仕掛けるような、というわけではない。戦争は絶対に良くない。ただ、彼やトランプ大統領のようにアンチが多少沸いてしまったとしても「自分の国の国力を上げよう」という強い姿勢だけは評価に値すると僕は思っている。
いじめっ子がおらず、反抗期もない子供たち
僕ら世代は親や先生による体罰を受けて成長してきた最後の世代ではと思う。いや、体罰が良しとされていた、というべきか。
怒らない・叱らない教育というのがスタンダードになってきて、それが影響しているのか反抗期を迎える子供の数も減ってきているのではと感じる。自分の子供2人も小学校高学年になり、そろそろ「クソジジイ・クソババア」とか言い出してくるのかな?と思っていたりするものの、全くその気配がない。し、友人の子供たちを見ていても、僕らのようにわかりやすい反抗期を迎える子供たちというのが極端に少ないように感じる。
先日今度小6になる長男をラグビースクールの体験に連れて行った。体験を経て正式に入部したわけだが、その理由のひとつは「チームのメンバーがすごくいい子たち」だと親子ともに感じたことだった。ラグビーのルールもわからない息子を率先して3人組・4人組に入れてくれたり、パスの投げ方などもみんなが教えてくれる。帰りにはわざわざこちらまで来て手を振ってくれたりもする。
昭和生まれの親父としては、「なんだ、新入りか。いっちょからかってやるか」みたいなガキ大将キャラがいるものかと少しは覚悟をしていったものの、いい意味で期待を裏切られた。これがウチの子が通うラグビースクールだけかと思っていたら、弟の子が通う少年野球にもどうやらいじめっ子なんて存在せず、みんないい子らしい。
いじめっ子もいない、反抗期もない、というのは誠に素晴らしいことで、親としてはすごく安心であったりもする。今自分が住んでいる地域が、自分が育った地域よりもある程度都会で教育レベルが少し高いというのも影響はしていると思うが。
僕が小学校のときは気性の荒い同級生などがいて、取っ組み合いの喧嘩をした経験もあるのだが、そのような経験を今の子供達がすることは多分ないのだろうと。中学や高校で隠れてタバコを吸ったりする不良なんかもはや絶滅危惧種なのかもしれない。
とは言え、こういった経験から得られたことも今の自分を形成するには重要なファクターだったと感じるし、そういった経験を我が子達がしないというのは「しないならしない方がいい」と評価するべき、と言われると疑問符は残る。
ハングリー精神や競争心は育つのだろうか
かたや、運動会で並んでゴールしましょうとか、全員が主役の学芸会みたいな協調性重視の教育がなされているのも事実である。これもネット警察同様、親に「差別だ!」と叩かれないようにという意味合いが強く影響してきているのではと思っている。
ラグビースクールでもレギュラーという考え方はもちろんあり、スターティングメンバーは上手な子たちが出るものの、どんなに下手くそなメンバーでも必ず試合で起用されるという方針らしい。
チームが勝つということよりも、協調性を重視するということで、5年生の終盤に子を入部させた親としては安心感があるものの、レギュラーになりたい、あいつよりも上手くなって試合に出たい、というような競争心はあまり醸成されないかもしれないと思ったりもした。
はい、はい!と自ら進んで手を挙げるよりも「どうぞどうぞ」と慎ましく人に譲るというダチョウ倶楽部のネタのオチのような姿勢の子が多く育ちそうな予感がする。
教育含む環境の変化によって、そこで暮らしていく人間の価値観も徐々に変化していくのは当然なことだ。ただ、このままの流れが進んでいくとすると、全員がいい子ちゃんで、協調性が強く、当たり障りのない人材が量産されていくように感じる。一般市民はそのような気質で良いのかもしれないが、このままで行くと国や自治体、会社を率いていくリーダーにもカリスマ性がある人が少なくなってしまうような気がする。
個性が大事、個性を伸ばそう、個の時代です。とは言われつつも、極端に個が育ちづらい世の中になっているような気がしてならない。
じゃあ、お前はどうしたいんだっけ?と今ここでリクルート風に聞かれても、現時点では答えは出ないのでそれはまた難しい問題である。ぜひみんなにも考えてもらってTwitterなどで意見をもらいたい。
それでは。
Kosuke
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